2018年12月31日月曜日

【ちょっと考えてみた】 「治る」ウツと「治らない」ウツにつて

*当たり前ですが自分の感想なので、エビデンスとか全く無いです。
 なんとなくそんな感じ?ということで。


うつの友人とよく話すのは、トラウマ由来のうつと、
過労や仕事でのうつって違うよねという話でして。

過労や仕事でのうつは、多分規則正しい生活とかで
ある程度緩和されるんだろうなぁとおもうのです。
きちんとした睡眠とか適度な運動とかをして、
それと薬物療法をすれば、そんなに長くうつ病を患うことはないのではと思うのです。

トラウマ由来は、あまりにも深すぎてそんな位じゃ緩和されない。
多分一生付き合っていく位の覚悟じゃないとトラウマ由来のうつは難しいなぁ…と
最近良く思うのです。

トラウマ由来だと、うつが一回治っても、またうつになるような生活をしてしまうから
またうつ病を発症して結局治らないという…。
結局自分を根本から見つめ直して、考え方から変えないと無理なんじゃ?と。

すると、生きてきたのと同じ位の時間を療養に費やさないと行けないのではと。
そんなことしてたら、下手するとうつと一生お友達になるわけですよねぇ。
ま、そんな位な気分でゆっくり治していかないといけないんでしょうね。

宮地尚子先生の『環状島=トラウマの地政学』を読んだりして、
トラウマ環状島理論(?)みたいなものを知って
特にこんなことを考えるようになってきました。
あと、『心的外傷と回復』とかかな…。

自分のウツは最初は過労から来たものだと思っていたのに、
何度もうつ病の発症を繰り返すにつれ、これはトラウマがベースにあるものなのでは?
と思っていろいろと考えるようになったのです。

何でしょうね、ACとか児童虐待のトラウマで…とかいうと、
親から暴力受けたとか、親がアルコールの問題を抱えててとか
自分もそのせいで行きたい学校へ行けなくて…など、大変な例を思い出したりするので、
自分はそこまでじゃないからACじゃないよね~とか思っていたり。

でも、友人と話して思うのは、幼いときに受けたトラウマっていうのは
他人がジャッジするものじゃなくて、自分がそう思ったらそうなんだということ。
なにか生きにくさを感じたときには、ベースに親子関係が存在してるんだろうなと。
それは、決して暴力を受けたとかそういうものだけではないと。

友人と話をして気づくというのは、気づかないうちに二人で自助グループを
やっていたのだなということでして。
自助グループの効能というのは、言語化することで自分の中にあるものを自分で気づく
ということだと思うのです。(それだけじゃないですが)

そこで、自分のほうが不幸だったとか不幸自慢になってしまうと、
また全然違うことになってしまうんでしょうけど。
フラットに辛いことを話し合えればそれは良い方向へ向かうんだろうなと。

そんな事を考える年末でした。