15時からの診察時間に、ちょっとだけ早く行ったらやっぱり閉まってた…>はりめん
わかってるんですよ、14時55分ぐらいにいかないと開かないこと…。
でも、でも、でも~電車の都合で少し早めに行ったら…負けた。
てなわけで、受付に診察券と保険証を出してもすぐに名前が呼ばれない。
なぜかと言うと、カウンセラーさんの用意が出来てからだから。
カウンセラーさんの用意が出来たようで、少し待ってからカウンセリング室へ。
予備校から大学時代の中心に。
高校は女子校だったので、だんだん女性しかいないことが慣れ親しんだ環境になり。
浪人して予備校へ入ることになって、周りに男性がいることに何故か違和感を感じる私。
いわゆる第二次性徴期時代を共学で過ごさなかったせいか、
中学時代のバカ男子のイメージが、予備校に行ったら急に『男性』になっていて、
そのギャップについていけなかったというか…。
まぁ、そういったって最初だけで、だんだん慣れていきましたけど。
私が通っていた予備校は変な所で、入学式・運動会・クリスマス会・卒業式(?)
がありまして、少人数だったせいもありなんとなく家族みたいな感じでした。
自分が頭悪かったのと、ベビーブーマー世代だったため、引っかかったのは
某大崎と熊谷にキャンパスを持っている、仏教系大学の2部。
社会学科という変な専攻(社会学科の方すみません!)だったせいか、
定員60名ちょっとのクラスに、女性が自分を入れて15人いるかいないか。
そのうち10人近くは推薦持ち上がり、3人は社会人学生、
浪人で入った女子(一応私も含む)は3人ぐらい…?
仲良くなった友達は1年でドロップアウトしてしまい、社会人のお姉さまと、
浪人で入った男子学生と遊ぶことが多くなりました。
何故か1年の時は自治会に入会してたので、そこの先輩たち(ほぼ男性)と
合宿へ行ってみたり。
2泊3日の旅行だったのですが、1日めは女性用に用意された部屋で寝たのですが、
2日めは約20名ちょっとの男子と一緒に雑魚寝。
なんとなく、男子の輪の中に入れるのが嬉しかった思い出が残っております。
授業が夜間でしたので、日中はバイトにい勤しむ毎日。
町田にあった、そろそろファミマに吸収されちゃう方のコンビニで
朝からバイトをしてました。
朝は、だいたい、私、店長代理のさっちゃん(私と5歳位違う女性)、
かんちゃん(当時16才?夜間高校通ったり、調理師学校通ったりといろいろと悩み多き男子)の3人で回していて、何故かかんちゃんが私に恋愛感情
(だと思っていましたが、今となっては母性の方にはんのうしてたのね~)
を持っていたので、「人から女性として愛される」というのを一切わからない私は、
彼にわざと抱きついたりして、彼の反応を楽しんでおりました。
はっ。その罰が今でも…(違います
大学では、一つ上(二浪)の友人(男)が出来まして、なんとなくそいつとふんわりと
いい関係になっていたのですが…。
大学も4年制ぐらいになると自分が『FTMゲイ』という自覚が出てきて、
そのふんわりとした関係がちょっときつくなってきたのですね。
なので、友人に「自分は自分を男性だと思っている」と話をしたら、
「梅田が自分を男性だと思うことはいいと思うけど、そうなると恋愛対象からは外れる」
という、超ド級のショックなことを言われてしまい…。
そうか、自分は男性に好かれようと思うなら、女性体でいたほうがいい、
でも、自分は男性だから、男性でいたい…。
というアンビバレントな感情の始まりだったのでした…。
院長からは年齢を考えるとよくトランスを知ったね~という話をいただきました。
ゲイブーム→伏見憲明さんの本を読み漁る→『クイア・パラダイス』を読む。
(今は『性の迷宮へようこそ』とちくま文庫になってます)
じぶんと反対のMTFレズビアンの方のインタビューを見て、
自分はFTMゲイでもいいんじゃないかと思ったなんて話を。
まぁ自分でもよく情報が手に入ったと思います。
大学入学が1992年で4年生でも1996年ですから…。
ちなみに、ガイドライン第1版が1997年、埼玉医大の初オペが1998年です
しかし、なぜ未だにトランスしてないのか、自分でも謎だわ…。