ある人と、中高の話をすることがあり…。
その方は中高と私立だったんだとか…。
だから、中学は弁当じゃなくて給食だったそうな。
私は、中学は既に弁当でしたし、
弁当忘れて乾パンを買うことしばしば(弁当忘れて来た生徒に乾パンを売ってくれた)
面倒だと昼飯抜きとか、白米だけ持ってきて、おかずを恵んで貰うとか、
凄い中学生活してましたがw
あと、ウチの学区内にたまたま児童養護施設があって、
でもその当時は自分も良く理解してなかった。
あいつ、「バットホーム(養護施設の名前)らしいよ」と言われるくらい。
ただ、兄弟で入所してた奴が兄が18になるから自分も出なきゃいけないから、
高校行けないかもって言ってたのが引っかかった位かなぁ…。余り、気にしてませんでした。
後で知ったのでw
高校は小田急線沿線3バカ女子高の一つだったから、
ヤンキーから、不登校の引きこもりから、知的ボーダーから、
中学で男子に虐められたから女子高に来たのよー、
希望校に落ちて仕方なく来たけど、内心来たくなかった…。
と、こんな感じて生徒はカオスでした。
マジヤンキーから、ヲタク、知的ボーダーの子からそれなりに勉強出来る奴まで。
生徒には、片親、児童養護施設の子も多いし、
3者面談でシスターとか、多分施設職員と思われる若い人も普通にいたからなぁ。
あと、娘がヤンキーなのにお母さんは地味な人、とか、
娘がヤンキーならお母さんもどこかのママみたいな親子派手な人とかねー。
3者面談はミニ社会の縮図だったかも。
てな話をしたら、梅田さんは昔からいろいろなひとを見てきて、
だから、人に対する視野が広いのねーと褒められたけど…。
褒められた話なのかな?
たまたまその境遇にいて、母が福祉の人だったから知ってただけだと思います…。
大学も2部だったから、社会人学生も、2,3浪のやつも、新聞奨学生も、
昼間はバイトは当たり前だったし。まぁ、少し変な境遇でしたがね。
だから、私が出来上がったんですねーと言われてもうーむ。
まぁ、考えるネタをくれたみんなにはありがたいですが。